白金・三田・高輪地域は、京浜工業地帯の発生の地です。かつて1960年代は、町まちから機械の音が絶えませんでした。ところがバブル期には、地価の高騰等で工場が大田区に越したり、後継者難で廃業するところが相次ぎました。今では、不景気の中、「数が少ない試作品の仕事が多く、急ぎの仕事しかない」という人や、「最盛期の2割しか仕事がない」という経営者もいます。こうした中、「ものづくりを次世代へ」と、16日のNHK Eテレで、港区の町工場が紹介されました。昔懐かしい豆腐屋ラッパの復活の物語です。港区の楽器屋さんと、旋盤屋さん、板金屋さんが力を合わせ、豆腐屋ラッパを作り、そのラッパが東北の被災地の豆腐屋さんで使われ、仮設住宅の人を励ましているというのです。ラッパの音を出すため音楽大学の力も借りました。熟練工の巧みな技、1ミリ以下で勝負する技術の紹介、息子が跡を継ぎ、後継者が育っていることなどが紹介されました。私はこのテレビをみて町工場がこの港区にも「どっこい生きている。がんばっている」という感じをもちました。このラッパは、先日開かれた「港区ものづくり・商業観光フェアでも」紹介され、大勢の子供達がラッパを吹き楽しんでいました。景気が回復せず、大企業の海外でのものづくりが盛んになった今、私たちに希望をもたらせてくれるこうした事業に、区は光を与える必要があります。産業振興には、工業関係だけではなく、商業、観光などのたくさんの事業があります。不況で大変な時期だからこそ、事業者などと協力し、お互いに知恵を出し合い、具体的な施策を生み出すことが必要です。にもかかわらず、産業振興課、経営支援担当課は課長が1人となり体制が縮小されました。課長は2人体制に戻すべきです。せっかくいいプランがあっても施策の推進体制がありません。2008年度の「第2次港区産業振興プラン」では、「(仮称)港区産業振興センターの整備」を掲げ、21年度設計、22年度完成となっていますが、その目処は立っていません。事業内容の変更等も考えているようですが、そうであればなおのこと、推進体制の整備を図るべきです。また産業振興のための施策の推進を図るため、区内中小業者などの声を直接聞く機会、「第2次港区産業振興プラン」で掲げた「(仮)港区産業振興推進会議」を設立すべきです。 (12 4定 沖島議員)