プロフィール

ごあいさつ

安倍内閣の暴走政治、「黒を白」と主張する民主主義否定の政治は許せません。
森友学園・加計学園の疑惑など真相解明へ全力を尽くし、安倍内閣総辞職を求めていきます。

憲法9条を壊し、戦争へ向かっていくような政治をくい止めます。
消費税10%へのさらなる大増税。年金、介護、医療など社会保障の切り下げも狙われています。

安倍内閣の悪政に真正面から対決し、どの問題でも対案を示すと同時に、みなさんと共同を強め、暴走政治にストップをかけるため力を尽くします。
安心して庶民が住み続けられる港区にするために、ひきつづき全力でがんばります。

いのくま正一さんはこんな人

区民文教常任委員会副委員長
交通・環境等対策特別委員
議員団幹事長

1960年生まれ、群馬県出身。
高崎商業高校卒。日本機関紙印刷所入社、労働運動に参加。
港区労連事務局長、芝公園を守る会幹事、高い固定資産税から営業と住まいを守る会事務局長など住民運動に従事。
1999年、港区議会議員初当選。
区議団幹事長、区議会決算委員長、区民文教常任委員長、港区都市計画審議会委員、港区消防団運営委員など歴任。

趣味:野球、歴史文学、囲碁、落語、料理

汗を流して働く人が むくわれる社会に

いのくまさんは、6人兄弟の末っ子。3歳の時父が病死。貧しい中、母が育て上げました。高校卒業後、港区の印刷会社に勤務。母の姿を見て「なぜ一生懸命働いても、くらしがよくならないのか」と考え、社会のしくみや矛盾を学ぶ中、20歳で日本共産党に入党。青年運動や働く仲間とともに地域運動に取り組んできました。

被災者によりそって救援活動

いのくまさんは、被害が甚大だった宮城県石巻市を中心に21次・134日間にわたり震災ボランティアに取り組んできました。
泥だし、救援物資のお届け、要望の聞き取り、寒い時期にはカレーライスやとん汁の炊き出しも行い、被災者に寄り添ってきました。

提案型の活動で区政を動かす

いのくまさんは、区長提案の予算に対して修正案を提出したり、条例を提案してきました。この提案がきっかけとなり、出産費用の補助や卒業アルバム作成費の助成、子ども医療費を中学3年までの無料化、町会への支援策などが実現しました。
暫定保育所もいのくまさんと党区議団の提案で実現。また、合同就職面接会やインターンシップなどの制度を繰り返し提案し、区が実施に踏み出しました。

台場レインボーバス運行の突破口を開いた

「台場にちぃばすを走らせて」という要望を受け、いのくまさんは、台場の住民と協力して区議会への請願署名を約2000筆集めました。請願は全会一致で採択。ところが港区は、ちぃばすを走らせませんでした。

いのくまさんは、区議会の交通環境特別委員会で「なぜ走らせないのか、台場住民への説明会をおこなえ」と要求しました。
こうした経過の中で「レインボーバス」が走っています。

芝公園の文化財調査 惣門の修復など実現

西武鉄道によって芝公園の貴重な文化財が破壊されました。
いのくまさんは、その実態を独自に調査し、所沢市などに移築された重要文化財を区議会で発表。芝公園の歴史を教育委員会にも調査させました。
また、日比谷通りの惣門の補修を何度も要求し実現させました。

高すぎる固定資産税の減額運動で成果

バブル経済崩壊後、高すぎる固定資産税でビルオーナーが廃業に追い込まれるケースが急増しました。
いのくまさんは、高い固定資産税から営業と住まいを守る会の事務局次長として、減額運動や都税事務所交渉も行ってきました。非住宅用地2割減額などを実現してきました。
「銀行の強引な回収をやめさせよ」と区議会でも要求してきました。

区議会超党派の共同が広がる

いのくまさんは、区議団の幹事長として議会全体の運営にかかわってきました。
また、「戦争法廃止」をめざす区議会超党派の共同した宣伝行動も5回おこない、大きな反応もでています。

町会への新たな支援策 共産党の提案実る

150人以下の町会へ、商店街などとの共同企画に上限50万円の補助
150人以下の町会に対し近隣の町会や商店会と連携した交流イベントなどに年1回50万円を上限に補助します。
いのくまさんと党区議団が条例提案も準備しつつ議会で提案してきたことが実りました。

羽田新飛行ルート案は、あまりに危険 撤回を求める

いのくまさんは、国土交通省が港区の真上を低空で飛行する、新ルート案の撤回を求めて、議会でも質問するとともに、住民運動にも直接参加してきました。
区民の命と安全がなによりも最優先されるべきです。撤回に追い込むまでとりくみます。