2日目の分科会は、「基地撤去のたたかいに連帯し、日米同盟の危険を告発する」というテーマの分科会に馬毛島の米軍基地移転に反対する署名と、六本木のヘリ基地撤去の運動のチラシを持って参加しました。
米軍基地撤去の運動の交流がおこなわれました。海外からは共通の問題を抱えるグアム・フィリピン・パラオの代表の方が参加し交流しました。
分科会の特別報告に馬毛島基地反対の島での運動が報告されました。
2011年6月21日、地元にはいっさい説明がないまま、日本政府はアメリカとの日米交渉(2プラス2)を行い、馬毛島を米空母艦載機の離着陸訓練(FCLP)のための恒常的な施設にするとの合意文書を交わしています。
今種子島では、隣の屋久島とも共同(1市3町)して「馬毛島に米軍訓練基地の移転に反対する」運動が広がっています。基地に反対する女性の会の集会で、ある高校生は「私たちはお金より種子島の自然がいい」と発言したことが紹介されました。
熊田も、討論の中で、六本木のヘリ基地撤去の40年の運動の紹介と、ふるさと種子島の基地反対の思いを発言し、署名を訴えました。
長崎の大会終了後に、港のみなさんと別れ、九州新幹線で鹿児島に向かい。翌日の船(高速船で90分)で種子島に向かいました。種子島には92才の父と86才の母がおり、親孝行もかねて、休暇を楽しんできました。
船から見る馬毛島はほんとうに近いです。ちょうど種子島滞在中に「馬毛島問題学習講演会 第2弾」が開かれ、私も参加しました。「米軍基地は住民にどんな影響を与えるか」と題し厚木基地の騒音問題で運動している金子ときお氏が講演、350名が参加し、質問も多数出され予定の時間を大幅に延長する学習会になりました。講演に先立って挨拶した西之表市長(長野力氏)は「今許したら種子島・熊毛(種子島は熊毛郡の一部)がどうなるか。基地には断固反対を防衛庁に伝えた。農業・水産業・観光の島を発展させ守ってきた。一時のことで謝った判断をしてはいけない。基地の反対は市長の使命と考えている。」と力強い発言がありました。これまで集めた署名85筆を届けました。