今回の第13次ボランティアでは、大きな目玉企画として、日本共産党三浦一敏宮城県議との懇談会を2月9日に行いました。
懇談会を設定した目的は、被災した3.11から今日までの復興の実態と問題点、今後の課題などを現地の中心で活動してきている三浦さんに、直接話しを聞き、掴むこと。東京に帰って、その内容を知らせていくことです。
いくつかテーマをしぼって聞きました。
①地震と津波で家が流された方々の住宅問題はどうなっているか
②石巻港の漁業の復興状況
③学校や病院などの状況
④その他 質疑応答 です。
以下、三浦さんのお話を概略報告します。
①地震と津波で家が流された方々の住宅問題はどうなっているか
津波で家を流された方々は、仮設住宅を中心に大変な生活を余儀なくされている。危険地域に指定され、以前と同じ場所に家を建築することができない方々は、次のような対策が取られようとしている。
(ア)半島方面の方々
高台移転となる。海のすぐそばに家があった方々だ。急斜面のすぐそばの山を切って整地して家を建てることになる。何十ヶ所も同時並行であり、人手不足、業者不足、資材不足で、早くてあと1年~2年と言われているが、もっとかかるかもわからない。
(イ)集団移転
石巻市内で見ると、渡波、蛇田の地域などに新市街地を造成する。蛇田地域では、1300戸の工事が始まった。4階建てで300数十戸の復興住宅と1000戸の宅地分譲である。
(ウ)現在地再建
危険区域外で自力再建する方々にも、やっと利子補給やカサ上げの予算がついた。市は、数ヶ所で現在地での区画整理事業をすすめる計画だ。被災者が安心して住めるような事業にするために注視していく。
堤防も新たに作る計画だが、高さをどうするか住民合意が大切だ。
②石巻港の漁業の復興状況
石巻港の水揚量は、被災前の200億円の50%まで回復してきた。半分だ。今後早く100%めざし関係者が必死の努力をしている。
ただ、工場を再建しようと努力しても、お得意先企業が無くなったり、取り引きをできないと通告してきたりと、困難も多い。
労働力も集まらない実態である。理由は、精神的な打撃で働く元気が出ない。臨時の雇用が多く賃金も低いこともある。通勤の距離がありすぎ、仮設から通えない。津波のトラウマもある。
③学校や病院などの状況
被災した学校は、別の学校の校庭などに仮校舎をつくってバスで送迎している。だから校庭が無くなっていて、運動不足が大問題だ。悲惨な被害を受けた大川小学校は、第三者委員会が設置され今年9月をめどに取りまとめられ、年内に答申されると聞いている。
市立病院は駅前に再建する方針が決まった。一階が駐車場、二階以上が病院。
医療費の無料化は国が打ち切ったが、その後の運動によって、国保では本人3割負担のうち、国が80% 、県が20%を負担してきた。県の財政が厳しくなっている。国は、県が続けるなら国も負担するが、県がやめるなら国も支援を打ち切ると、まったく冷たい姿勢に終始している。国が全部負担するように要求している。
④その他 質疑応答
その他で課題となっていることは?
宮城県は、被害総額でも、被害人数でも甚大。被害の規模で見ると、「宮城を10」とすると「岩手は2」であるのに、国からの支援は、「宮城600億円、岩手460億円」であり、石巻市で自由に使える資金は80億円しかない。復興へ様々な対策を早く打たなくてはいけないのに、手が打ちきれない状況だ。
多賀城市では、木材や鉄骨などが市の産業として多いのが特徴で、3.11の津波が来たとき、車、木材、鉄骨などが大量に流されて凶器になったと聞いている。その自治体の産業や街の特徴によっても被害が変わってくるということだ。
これは、東京でも全国でも教訓になる。防災の視点としてそれぞれの自治体でよく研究しておく必要があると思う。