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2012.1.6
 石巻市の被災実態です。
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プロフィール
 憲法を解釈で変えて戦争する国にするなど絶対に許せません。憲法9条を守りぬきます。原発ゼロ、消費税の10%へのさらなる大増税を中止させましょう。
 港区政でも保育園に入りたくても入れない待機児童がいっぱいで、特養ホームも不足しています。認可保育園と特養ホームの建設は待ったなしです。安心して暮らせる港区へきりかえるため、議席奪還した力をフルに発揮して奮闘します。

1960年生まれ、群馬県出身。高崎商業高校卒。日本機関紙印刷所入社、労働運動に参加。港区労連事務局長、芝公園を守る会幹事、高い国定資産税の減額運動など住民運動に従事。1999年港区議会議員初当選。区議団幹事長、区議会決算委員長、区民文教常任委員長、港区都市計画審議会委員、港区消防団運営委員など歴任。
現在、区議4期目。区民文教常任委員会副委員長、交通・環境等対策特別委員、議員団幹事長。
趣味は、野球、歴史文学、囲碁、落語、料理。

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芝公園を歩く・・・文化財めぐり  新日本婦人の会ハト班をガイド

DSC02146.JPG  4月9日、新婦人ハト班のみなさんを案内して、芝公園を歩きました。10数名です。コースは、区立芝公園の平和の灯集合、東照宮、梅林、丸山貝塚・古墳、旧台徳院霊廟(西武のプリンスタワー)、弁財天(宝珠院)、明徳幼稚園付近、御成門、二天門、三解脱門、増DSC02077.JPG上寺境内、徳川将軍墓、惣門、大門(赤門)、芝大神宮。です。

 その後、芝大門ホテル1階にある「楓鈴(ふうりん)」で食事と交流。

 左上は、簡単なしおりを作りました。10頁ほど。右は平和の灯です。広島・長崎、そして星野村の火をここに灯しています。

 

DSC02070.JPG芝公園は、都心のオアシスと呼ばれ、緑と文化財にあふれる公園です。

 ジョギングを楽しむ方、絵を描いている方、区立芝公園で、バトミントンや追いかけっこする親子、お弁当を食べている方等々、憩いの場所です。

 増上寺を中心とする、徳川将軍家の霊廟ももともとはありました。戦争・東DSC02148.JPG京大空襲で多くの霊DSC02147.JPG廟や文化財は焼失しましたが、残された将軍や正室・側室などの宝塔、銅製の燈籠、石灯籠などはしっかりと残されていました。しかし、西武鉄道によってこれらの文化財は破壊されたのです。

 左の図は、破壊される前の芝公園の将軍墓の配置図です。図の右側が今の日比谷通りです。クリックして見てください。東京プリンスは、北側の墓所、100メートルのプリンスタワーは、南側の秀忠の霊廟・お墓の上ですね。上の古い写真は、秀忠の霊廟です。戦災で焼けてしまいました。しかし、墓は残っていたのです。

 東京オリンピックに合わせて東京プリンスホテルが建てられ、芝ボウリング場、ゴルフ練習場、プールなどが作られました。

 その前に、DSC02080.JPG霊廟や文化財が改葬・破壊されたのです。西武線沿線のDSC02107.JPG狭山不動寺などに当時国宝(今も国の重要文化財)だった勅額門、御成門などが移築されています。また、銅燈籠、石灯籠などもトラックで大量に運び込まれ、破損した石灯籠などは、西武球場の下に埋められたと言われています。(左写真は丸山貝塚。右は、明徳幼稚園付近です。石の宝塔の屋根部分が放置されています。おそらく、将軍側室のものと思われます。)

 1958年頃は、今のように文化財保護法が無く、貴重な文化財もホテル建設などの利益の方が優先されたのです。

 今も、日比谷通りDSC02123.JPG沿いには貴重な文化財が残されています。東京プリンスホテルの前・日比谷通DSC02088.JPGりに面して、二天門もありますが、漆ははがれ屋根も破損し、心配されます。

 現在、赤羽橋に近い方(以前ボウリング場があった)にプリンスタワーが建っています。この下はもともとは、2代将軍秀忠の霊廟・お墓だったところです。東京プリンスホテルもその下は、元は将軍や正室・側室のお墓があったところなのです。左写真は、一ヵ所にまとめられた現在の「将軍霊廟」。右写真は、プリンスタワー)

 「プリンスホテル」(将軍)とはよくつけたものですね。是非多くの方に知っていただきたいです。

 この地に長らく住んで、芝公園を愛し続けた方の話をずっとまえにDSC02131.JPG聞きました。「小さい時に東照宮や増上寺でよく遊んだ。豪華絢爛で、日光の東照宮に行った時、あまり驚かなかった。芝増上寺ですでに見たことのある風景だったから・・・」。

 これが芝公園・増上寺周辺の豊かな文化財なのです。右の写真は台徳院霊廟惣門です。数年前に補修されました。漆がきれいです。惣門から、勅額門、御成門とすすむと2代将軍秀忠の霊廟が配置されていました。

 今日は、久々に西武鉄道のホテル建設を許さないという、1990年代前半から後半にかけての運動や埼玉所沢や狭山などの調査の経過などを思い出しました。

 埼玉の不動寺にある、桂昌院宝塔(7代将軍の母、6代将軍の側室)は、この調査の時には、ただ宝塔がおいてあるだけで、誰の宝塔表示もありませんでした。それを過去の図書と突き合わせ、港区と所沢の教育委員会に確認をさせDSC02139.JPGたときは、大変嬉しかったことを思い出します。

 今は、ちゃんと囲いもされ、桂昌院の宝塔であることが記されています。

 ちなみに、銅製の宝塔は、芝増上寺では3基のみです。6代家宣、桂昌院、皇女和宮(静観院)だけです。

 最後の写真は、10時から13時まで歩き通して疲れたあとの食事です。