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9月21日は、米谷の宿舎を早朝出発し、南三陸から南下して石巻まで視察しました。
何度も来ましたが、南三陸の防災庁舎では、津波で流されるまで無線で避難を呼びかけた「みきさん」のことが心にずっしりときます。先日テレビでご両親が民宿をはじめたとの報道がありました。娘さんのためにも、いつまでも落ち込んでばかりはいられない・・・と、語っていたのが印象に残りました。
海辺の写真は、私が勝手に名付けている「気まぐれ浜」です。
たまたま立ち寄った浜のこと。水戸辺(みとべ)漁港です。
休みの日でしたが、漁師さんが仕掛けの点検で船を動かしていました。
話を聞くと、漁師は震災以後3分の1に減ったそうです。船を流されてしまったので、船を購入するには、家を一軒建てるくらいの資金が必要で、跡継ぎがあればなんとかがんばるが、いなければ廃業してしまうのだそうです。
チリ地震のあと1983年に造られた堤防の看板です。この堤防は壊れなかったそうです。
しかし、すぐそばの高台まで津波が押し寄せて被害がでました。
漁は、「穴子」「ワカメ」などが主です。穴子は金華穴子と呼ばれる高価なものです。
一番下の写真は、大川小学校です。校舎のスピーカーが津波で破損していました。
震災から3年半がたち住職が法要を営んでいました。
何度来ても辛いですね。
(報告⑤へ つづく)
(⑤は、3.11から今日までの復興の歩み、現状、今後の復興へ向けた課題を東部地区委員会で聞き取った内容です。結構濃い中身です・・・予告)