9月19日、日本共産党東部地区委員会で「今後の復興に向けての課題は何か」をテーマに聞き取りをしました(写真は説明する鈴木実副委員長 中央)。
災害復興住宅は、まったく進んでいません。建築資材と労賃が引き上がって作業が出来ないのです。アベノミクスと東京オリンピックが影響を与えています。物価高で資材が跳ね上がったこと、東京に建設業の仕事が集中し、東北の復興
へ回らなくなったのです。
復興事業の入札をおこなっても、「不調」となり決まらないのです。原因は、住宅を作るには手間がかかる割には利益が少ないのだそうです。だったら東京で大型事業に参入した方が利益になるということです。
宮城県は、復興住宅に、これから3年で70%入居が目標でしたが、下方修正するそうです。仮設住宅で暮らしている方々からは、「このままだと、東京オリンピックが終わるまで、復興の事業は進まないのか?」という声が上がっているそうです。
国の予算の付け方にも問題があると説明されました。復興予算が、公営住宅建設、防潮堤建設などの「目的別」になってい
るのです。だから震災から3年半がたって、当初「災害公営住宅に入りたい」と考えていた被災者が、「こんなに公営住宅建設が遅れるなら、自力での家の再建に考え直す」とい
う方もでてきています。そうなると、公営住宅の必要戸数が変わってくると
いうのです。だから、「復興の基金型の予算」にできれば、こうした状況に応じた融通がきく、幅を持たせた復興を実現することができると説明がありました。
また、コミュニティを大事にした復興計画づくりが決定的だと指摘されました。石巻市は地震と津波の被害が特に甚大でした。仮設住宅は133ヶ所、7300世帯におよんでいます。だから、仮設住宅ができて、入居申し込みが始まると、次々と申し込みがあり抽選で入居していったのです。今まで住んでいたコミュニティがバラバラになったのです。
阪神・淡路大震災の教訓は、仮設への移転は町会ごと、コミュニティごとに入居が必要だったのです。しかし、石巻市はそうできませんでした。だから、住民同士の話し合い
がほとんど出来なかったのです。
先日、NHKが被災地の復興事業の特集を報道していました。宮城県岩沼市の集団移転です。集団移転第一号としてすでに完成し引っ越しが始まった。「俺たちが街をつくる」が、合い
言葉です。
岩沼市は、3.11直後には住民がバラバラ入っていた避難所を震災から4日後に集落ごとに集め直したのです。コミュニティを守るためです。仮設住宅もやはり集落ごとに入居しました。
だから、街を復興するための話あいが、被災から何百回とおこなってきました。行政やコンサルタントが、直線道路で緑も少ない計画を提案してきたが、住民が話し合って変更し、曲がりくねった道路に変え、公園も随所につくり、芝生も植える計画に変えたのです。街のあちこちにベンチを置き、お年寄りも、こどもも、妊婦も気軽に腰掛けて休めるし会話もできるという住民が主体で計画を練り直したのです。これこそが、本当の住民参加の復興だと感じました。
これと比較して、石巻は、133ヶ所の仮設にバラバラに入居。町会ごとにあつまって話し合うことがほとんど出来なかった。上からの方針の押しつけになった。コミュニティごとに町会ごと仮設に入居しないといけない。
住民が復興の中心になって話し合う、住民本位の徹底した話し合いが大事だと
言うことです。東部地区委員会での聞き取りで一番大事な点だと思った。
これは、東京でも大事な教訓となるはずです。首都圏での直下型地震などいつきてもおかしくない。その時に、石巻の教訓が活かされないといけないと強く感じました。
仮設住宅の問題も。仮設は3年半経ってガタがきている。カビがはえたり床が傾いたり。仮設で暮らしている母親の声が紹介されました。「小さな子が仮設の中で足をバタバタさせて走り回るので、「静かにしなさい!」と母親が怒るのだそうです。後でこの母親が語ったそうです。「こどもには本当に申し訳ない。思いっきり走り回りたいのはこどもの本来の姿なのに、怒って静かにさせるしかなかった」と心を痛めているのです。
こんなことが何年続くのでしょう。