7月10日の4時30分には矢本地域に到着しました。野蒜(のびる)駅が高台に移転して再建されました。(このあと朝食をとり、日より山へ・・・報告①で掲載。)
7月10日は、石巻の救援センターで打ち合わせのあと、渡波第二仮設住宅へ向かいました。幹線道路を通りトンネルを抜けて行きます。車で18分くらいのところです。
事前に小分けされている救
援物資を届け、要望を聞き取り、憲法を守るための署名も
お願いします。写真の住宅地図を見るとわかりますが、4割から5割は空家です。復興住宅に移った方や息子さんのところへ転居した方、中には自分で家を再建した方も
いるそうです。
住民からは、「肝臓ガンになってしまって、この仮設で人生を終わるかもしれない」などの深刻な声も寄せられました。
移動図書館も来ていました。係の方が呼び込みをしに住宅を回っていました。子どもたちにも喜ばれる図書館ですね。
午前中の行動を終え、昼食をとったあと、午後は、東部地区委員会にて復興をめざすための現状と課題を短時間お聞きしました。レクチャーは、鈴木実さんです。被災当初からずっと救援センターと地区委員会の中軸で活動している方です。
概略をまとめます(7月の時点です)。
・・・・公営住宅への転居が始まった。800戸移っている。転居した方は「良かった。ようやく新しい生活ができる」という声を上げている。その一方、となりの人が誰なのかわからず、話をしていない。結局、前の仮設住宅の友だちに会いにいって話をする方が多いとのこと。コミュニティをまったく配慮しない公営住宅への入居だからだ。石巻市は被災状況が甚大だったので、集落ごとの入居計画ができなかった結果だ。今後の生活に不安があるという方がかなり多い。
また、仮設住宅は家賃は無かったが、公営住宅では、2万円とか、高い方だと7万円という家賃にもなる。また、被災者は様々な理由で税金を滞納せざるを得ない方がいる。滞納していると公営住宅に入れないのだ。
震災後家族が別居するケースもかなりあった。4年以上が経過して離婚となった方もいる。離婚すると、どちらか片方だけしか被災者としての支援が受けられないのだそうだ。なんという矛盾した制度か。早急な制度の改善が求められる。公営住宅建設は、まだまだ計画がおくれている。・・・・
課題は沢山残っています。
翌日は、牡鹿半島でカキ養殖の事前作業の手伝いです。温泉につかって疲れを癒したあと、「とんこ」というお店にいって、夕食・交流です。なが~い影は、早朝散歩です。日の出直後です。自分の影を撮影しました。