8月25日26日新潟で第58回日本母親大会が開催され、港から10名が参加しました。新潟までは新幹線で、早めに新潟に着き、会場となる朱鷺メッセまではバスで15分ぐらいです。
全体会・分科会となった朱鷺メッセは信濃川の川口近くにあり、佐渡汽船の発着所が近く、会場からも日本海が見渡せます。
休憩時間に佐渡へ出向するおけさ丸を見送ることができました。(この景色は私のふるさと種子島に連なる景色で大好きです)
日本母親大会は1955年「世界の母親・女性が手をつなぎ、核戦争から子どもを守りましょう」と世界母親大会に参加してからとぎれることなく大会を開いてきました。「生命を生み出す母親は 生命を育て 生命を守ることをのぞみます」のスローガンの元に1年に1回全国から参加します。今年の新潟大会は述べ13,200人が参加し大成功です。
8月25日 分科会
1日目は分科会です。
私は、34分科会から「障害者のくらし・しごと・生きがいを語ろう」ー新法「障害者総合支援法」の制定でどう変わるー助言者・市川勝志郎氏に参加しました。
いつも分科会はどれに参加しようかか迷います。迷ったあげく障害者問題に参加。いつも、介護か障害者か、だいたいが社会保障の関係に参加しています。母親大会は、全国からいろんな運動や、当事者の生の声などが聞かれ勉強になります。 会場いっぱいの参加者で、机やいすも足りず、床に段ボールを敷いての参加者もたくさんいました。(母親大会では見慣れた光景です)
進行係の方からも、「1年に1回せっかく参加したのですから、みなさん思いの丈を発言してください」との呼びかけに応え、私を含め30名が発言しました。
この分科会は、障害者の母親、施設の職員などが多く参加しています。子どもさんをヘルパーさんに頼んで参加された方など、この大会に参加するにもとても苦労しています。それでも、母親大会で学び、発言し、勇気と元気をもらいたいとの思いが伝わります。
たくさんの母親が、私たち親がいなくなったときこの子はどうやって生きていくのか考えると不安になると発言しました。施設入所、作業所でしごとをしているなど、それぞれ違いがありますが、親の心配は変わりありません。
あるお母さん(40代)からは「この子のために親はいくら残したらこの子は生活していけるのでしょうか、本当のところを教えてください」と胸を打つ発言がありました。一人一人の親にこんな発言をさせる今の社会に怒りを感じます。・・・私の弟はダウン症です。親は私たち兄弟に苦労をさせまいと一生懸命に働いていました。その姿から私は社会の矛盾を感じました。親ががんばらないと、障害児が安心して生きていけない社会はおかしいのでは・・・これが社会に目を向ける最初です。
最後に助言の先生から「政治を含め社会全体が成果主義、障害が自己責任と考えられるあいだは問題は解決しない。」との締めくくりがありました。地域にかえってみんなで運動に取り組もうと再確認しました。
全体大会は改めて報告します。