2020年6月24日
第2回定例会の冒頭で、区議会議員としての在職25年の表彰を受けました。
本会議場で、25年の議会活動を振り返って、挨拶を行いまた。
在職25年の表彰を受けての本会議場でのあいさつ
私の区議会議員としての25年の活動に対し、表彰をいただき本当にありがとうございます。
誰もが経験したことのない新型コロナの影響で、区民の皆さんの暮らしや営業が本当に大変です。一日も早い収束と日常の生活を取り戻すためにも行政と議会が一体となって取り組むことが重要だと考えています。私も全力で取り組みます。どうぞよろしくお願いします。
私が25年間、区議会議員として活動を続けてくることができましたのは、本当に多くの区民の皆さんのご支援のおかげです。支えていただいた皆さまに心からお礼を申し上げたいと思います。ありがとうございました。
25年間、区民の皆さんからご要望やご意見をはじめ、ご相談をいただきました。その一つ一つに十分に寄り添えたのだろうかと、自らの活動を振り返るいい機会にもなりました。
私は、この25年間、看護婦としての経験を活かし「看護の心を区政に」と、とりわけ福祉の分野に取り組んでまいりました。常に心掛けてきたのは現場の実態を取り上げること、十分な調査を行うことです。困っている方の実態をお伝えすることで、少しでも改善させることができたのではないかと自負しています。
もちろん私一人の力でできたわけではありません。困難を抱える住民の困りごとの解決のためには、多くの職員の皆さんに助けていただきました。この場をお借りいたしまして感謝申し上げたいと思います。
私の25年の議員活動の中で、どうしても忘れられないことがあります。飯倉小学校の廃校問題です。125年の歴史を持つ飯倉小学校は2004年(平成16年3月)で廃校になりました。
理事者の皆さんの中にも、議員の皆さんの中にもこのことを知らない方が増えました。
この問題は、港区政にとっても、港区議会史上にとっても、重大な汚点を残すことになりました。
学校の廃校問題は、子どもたちや保護者、地域の方々と多くの方に影響を与えます。だからこそ時間をかけて十分な話し合いが必要です。
仮に、統廃合を行うにしても、統合される学校との学習交流を重ね、子ども達の統合に関する不安や負担を軽くしてやるのが、行政や教育委員会の役割です。
ところが、飯倉小学校の場合はそれがありませんでした。廃校ありきで関係者を無視した強硬なやり方が、長い間、地域にしこりを残しました。
飯倉小学校の廃校の議案を審議した区民文教常任委員会では賛否が同数となり、委員長の裁決によって、廃校とする議案は否決されました。2003年12月12日の深夜に及ぶ本会議でも、賛成と反対が同数となり、議長の賛成で廃校が決まりましたが、住民の怒りの声と議場の怒号の中で、その声は誰にも聞き取れませんでした。当時の議事録には、議長の発言の後に(発言する者多く徴収不能)との記録が多くあります。
こんな乱暴な形で自分たちの大好きな学校の廃校が決まったことを36名の在校生はどのように受け止めたのでしょうか?
行政や議会のやり方とは別に、自分たちの学校をまもるために必死に頑張る地域の大人たちの姿は子ども達に大きな勇気を与えたことでしょう。その姿を示すことができたことが唯一の救いです。あの時の子ども達もみな成人しました.
今、行政の皆さんは、住民の方との話し合いに十分な時間をかけて、取り組んでいます。飯倉小学校の教訓が生きているのではないかと私は勝手に思っています。
飯倉小学校が長年続けてきた山形県舟形町との交流事業も、現在は麻布支所が引き継いで、子ども達の交流が続いています。
飯倉小学校の廃校問題を忘れないでいただきたい。教訓として頂きたいと思います。私も初心を忘れずに活動を続けてまいります。
発言の機会を与えていただきました議員の皆様にお礼をもうし上げて挨拶とします。ありがとうございました。