月浜の仮設住宅写真です。9月22日の二つ目の仮設住宅です。すぐそばに民宿街があります。いくつかの民宿は再開しています。
ネコじゃらしを使って、ネコをかまうと、真剣にじゃれてくる可愛いネコです。
室浜の仮設(3ヶ所目)では、80歳代のおばあちゃんの話を聞きましたz。ご主人と、息子と、孫を津波で流されて亡くしてしまった。と、話している家に、おばあちゃんの声がつまりました。私は、なんと声をかけたらいいのか、言葉がみつかりません。「大変だったね」としか言えませんでした。この地区では、すぐ上の小高い山に高台移転するそうです。が、山の木を伐採し、整地して、ライフラインを整えて・・・、となると3年も5年もかかると思われます。まだ、山はなにも手がつけられていません。
23日は、登米の宿伯所から南三陸、雄勝、女川と被災実態を視察しました。瓦礫はかなりかたかたづけてありました。南三陸の防災センター、ここに来るたびに、最後まで避難を呼びかけた女性のことが胸を打ちます。
志津川病院は解体されていました。
途中で、とある港にたちよってみました。海はきれいです。ここにも津波が来たと思えないほどです。浮き玉が、木の上に引っかかったままです。やはりすごい津波が来たのですね。
(パノラマ写真はクリックすると大きくなります。戻るボタンで元に。) 大川小学校では、供養塔(石塔)が立っていました。「会」とは運動会の看板でしょうか。
女川町立病院の上から撮影です。横倒しのビルはいまだにそのままでした。
津波がここまで来たとの印です。
全体として瓦礫は片付けられてきましたが、復興住宅、高台移転は、いつ実現できるのか、見通しは一切立っていません。東北3県で、復興住宅は一戸も出来ていないのです。震災からすでに1年7ヶ月がたちます。