ボランティア報告の続き②です。17日は、朝、登米市米谷の宿舎を出発して、南三陸、大川小学校、女川、牡鹿半島をぐるっと視察しました。南三陸では、防災無線で最後の最後まで津波からの避難を呼びかけ犠牲となった女性の防災センターを立ち寄りました。町は、この建物をもうすぐ解体する予定だそうです。おそらくこれが最後の見聞となります。献花台がいつもより手前に置かれていました。建物崩壊の危険があるからだと思います。
「気まぐれ浜」と私が、命名しているのですが、気まぐれにたまたま寄った浜のことです。偶然の出会いが結構あります。
今回たまたま寄ったのは、「相川浜」という港です。仲の良いご夫婦が、わかめの種付けをしていました。始めてみましたが、130メートルの長いロープに約30センチ間隔でワカメのタネをつける作業です。来年の3月頃に収穫するのだそうです。根気のいる作業です。ご夫婦は、3.11の時のことを話してくれました。「津波が来る」と情報を受け、ご主人は、漁業の仲間と沖へ船を出したそうです。津波は沖ではほとんど影響が無かったようです。しかし、沖から港の方を見た時は、ギョッとしたそうです。浜がぶち壊されていくのを見たからです。
ご夫婦の家は、浜のすぐそばの高台にあります(写真)。奥さんは、「家のすぐしたまで津波が来て生きた心地がしなかった」と当時をふり返りました。
それにしても仲のいい夫婦でした。仕事の手を休めていろいろと話をしてくれました。「どこから来たのですか」と聞かれ、「ボランティアで東京から来ました」と話すと、「うちにも来てください。ワカメの作業を手伝ってくれたら。どんなに助かるか」と要望されました。
大川小学校は、何回きても心が重くなります。山側に慰霊碑が設置されていました。犠牲になった方々の名前がするされていたので、ずっと離れてとりました。
女川町立病院から海岸を見ると横倒しになったビルが、今もそのまま残されています。現地の方に聞いたところ、女川では、仮設住宅から復興住宅建設が比較的スムーズに進むようだとのことです。学校の第2グランドに仮設住宅が作られたところでは、第1グランドが開いていて、そこへ復興住宅をつくり、完成したら第2グランドの仮設を解体し、そこへ次の復興住宅をつくるという経過だそうです。石巻などの復興住宅建設と比べると早く完成できるようです。
女川から牡鹿半島へ向かいます。この間何回か三陸ワカメを分けて頂いた小渕浜のSさん宅を訪問し、茎ワカメなどをまたわけてもらいます。そうしたら、付録で、写真のように、岩ガキもいただきました。出荷できない形のカキだそうです。
このカキを東京に帰ってから食べましたが、美味いですよ。焼いてもいいですが、私は、電子レンジの500ワットでカキの大きさに合わせて6分から9分チンして食べました。磯の香りがいいですね。
(③に続く。③は、石巻の水産加工場の現状と復興への取り組みなどです)